時間越しの景色

冬の野山の寂しげな雪たちも、時間越しの景色にはきっといないんだろうな

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隠遁者

常々、僕は人というものがどういうものであるのかを考えている。
もしかしたら、そこに明確な答えはないのかもしれない。
それでも、それでもやはり、考えないではいられないのだ。

大学というひとつの社会の中に属している以上、僕はその中の一員として社会生活を送らなければいけない。
それは当然のことだ。
僕だって一応義務教育を終えた人間だ、善悪の分別くらいは多分できるであろう。
ことさら、法律いう分野にかかわっている以上、並の人間よりもその意識は強いかもしれない。

さて、僕は大学に通っている。
それ自体は別に問題はない。
だが、その場所に僕の考える人間はいるのだろうか。
僕の結論からは、いないと答えるしかない。
正確には、同じ人間だと思いたくない、というところだ。

一日の日記にかぶる部分もあるだろうが、兎に角、人間としての最低限のことができていない。
つまりは、それは人間ではない、ということと等しいのではないだろうか。
そういう風に、考えているのだ。
人間として生きる故、彼らを人間だと思えない。

元から、僕は倫理観に人一倍敏感ではあるが、人一倍その内容を無視することになる。
それはもう、生まれ持った頭脳によるものであろうから、又は、人格形成上の問題であろうから、この際あきらめよう。
ただ、どうして違う人間なのに、同じ権利が働くのだろう。
法律というものを学ぶにつれ、僕の疑問は深まるばかりだ。

確かに、人権という概念は大切だと思うし、なくてはならないものであろうとも思う。
だが、人外とも思える人間に対して、これを適用するのは聊か違和感を覚える。
それこそ、ただ単に同じ種族、それだけの話だ。

古より、人間の文化には奴隷制度などに代表される差別意識が存在している。
しかし、これはもう、人間の本能なのではないだろうか。
そう思えて仕方がない。

そして、決して共産主義などが成立しない、ということを彼らは教えてくれる。
それはもう、人間としての性能上仕方がない。
多分、そんなものでいいのだと思う。
悩め、少年。
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  1. 2005/09/03(土) 20:41:20|
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戒音

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